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ピーナッツバター

中途半端に余ったピーナッツで、ピーナッツバターを作りました。

 

材料

ピーナツ 約200g(炒ってあるもの)

ココナッツオイル 大さじ1~11/2

きび砂糖 大さじ2~3

 

 

作り方

➀フードプロセッサーにピーナツをぶち込んで約1分撹拌。

 

 

②様子を見ながらココナッツオイル、きび砂糖を半分くらい入れてさらに1~2分撹拌。

 

③残りのきび砂糖を入れ撹拌。

 

 

合計で5~6分撹拌すると、ねっとりとしたピーナツバターになります。

 

今回は薄皮も一緒に撹拌しました。
少し粒が残ったピーナッツバターです。

 

オイルはバターを使うと比較的こってり、サラダ油、オリーブ油等を使うとさっぱり目に仕上がります。
今回は他に中途半端に残ってしまっていたココナッツオイルを使用したので、香りよく仕上がりました。
オイル、砂糖の量はお好みで調節してください。
砂糖はもちろんきび砂糖でなくても大丈夫です。

 

香りが強くないオイルを使って砂糖を入れずに作れば単純にピーナッツペーストになるので、いろいろな料理にも使えます。

 

 

 

東京営業所所長

ファイナンシャルプランナー 髙柳周太

2018年10月29日

災害救助法適用地域の特別取扱について

この度の「平成30年北海道胆振東部地震」により被害を受けられた皆様に心からお見舞い申しあげます。

「平成30年7月豪雨による災害」に引き続きのご案内となりますが、

災害救助法適用地域の特別取扱についてのご案内です。

 

一、保険料払込猶予期間の延長

お客様からのお申し出により、保険料のお払い込みを猶予する期間を最長6ヶ月間延長します。

 

二、保険金・給付金、契約者貸付金の簡易迅速なお支払い

お客様からのお申し出により、必要書類を一部省略する等により、簡易迅速なお取り扱いをいたします。

 

なお詳細につきましては、ご契約の各保険会社のコールセンターまでお問合せください。

ご不明な点等ございましたら、

弊社メールフォームまたはフリーダイヤルまでお問合せください。

 

2018年09月08日

しげちゃんのウラジオストック視察旅行記    その①

さわやかな青空のもと、ヨーロッパ風の街並みを歩く

 

 

1.韓国仁川空港経由でウラジオストック空港へ

 

私は6月14日木曜日、韓国仁川空港経由で、空路ウラジオストック空港に到着した。

 

 

入国手続きを終えると女性通訳が迎えてくれ、宿泊先のホテルAZIMUTにバスで向かった。

 

今回の旅には、福岡県中小企業家同友会国際交流委員会9名の一員として参加した。

 

2016年10月、駐大阪ロシア連邦総領事オレグ・リャボクさんと、在日ロシア商工協議会理事長でありロシア人会会長の、ユーリ B・ブーラフさんから

「ロシアビジネスを視察しませんか」との提案を受け、今回の視察旅行が実現した。

 

ホテルにつき、夕食まで時間があったので、ガイドさんに案内され、近くのウラジオストック駅まで散歩に出かけた。

駅では、丁度、モスクワ行きの大陸横断鉄道の列車が入っており、車両を見学したり、車掌さん(女性)と話したりした。

「今度来るときは、横断鉄道に乗ってみてください。シベリアの森が素晴らしいですよ」と声をかけられた。

駅は大きく、おしゃれな土産店が並び、ヨーロッパの雰囲気を醸していた。街を歩くと、6月中旬であるが、日本の3月の桜の開花のころの寒さで、

持参したカーディガンが大変役に立った。

 

街路にはギボシが美しく植えられ、清掃された歩道を、親子連れや学校帰りの子供たちが連れ立って歩き、中国人や韓国人も多く、華やかな国際都市の雰囲気が感じられた。

 

 

スーパーマーケットは、野菜や魚の種類が多く、衛生管理もしっかりされていた。

 

店員さんの応対も、きびきびした気持ち良いものだった。

ただ英語は全く通じず、ロシア語のみしか通じなかった。

 

また、町を走る車のほとんどは日本車ばかり。

あまりの多さにびっくり仰天であった。

 

(次回に続きます)

2018年08月08日

しげちゃんのウラジオストック視察旅行記    その②

2.ウラジオストックの概況

 

ロシアの極東に位置する沿海州は、人口192万人、面積は北海道の

約二倍である。

 

 

ウラジオストックはその州都であり、人口は62万人。

地理的に日本に近いことから、昔より日本との関係が深く、

1909年(明治42年) には日本の総領事館が開設されている。

 

その後日本からの移住が始まり、ロシア革命後の1920年には約6000人の日本人が住んでいたと言われている。

 

また、敦賀~ウラジオストック間の連絡船とシベリア鉄道を乗り継いで欧州に向かうルートは

当時日本とヨーロッパを結ぶ最短ルートの一つであり、明治の女流歌人与謝野晶子もパリにいる夫・鉄幹のもとに赴くため、このルートを利用したという。

 

ソ連邦崩壊後の1992年、ウラジオストックが再び開放され、日本との定期航路が開設されている。

以降今日に至るまで、政治・経済・文化など様々な交流が進んでいる。

 

 

3.OPORA RUSSIA(会員60万人の経営者団体)との

交流会

 

6月15日金曜日の夕刻、同友会東支部の会員の経営する居酒屋でOPORA RUSSIAウラジオストック支部の会員と交流した。

ロシアはペレストロイカを経て、新しい政治・経済体制の中で、その仕組み作りの最中であり、現在模索中だと感じた。

この地では、イギリスの会社とゴルフ場建設が進行中である。

 

また、北海道青年会議所とも交流をした。「日本に投資してほしい分野は」との問いに

農業・物流・ITなどが上がり、この地域の特産のカニ養殖・はちみつなど、日本企業の持つ技術やサービスを活用したビジネスの可能性が強調されていた。

 

 

4.沿海州政府(公団)訪問

 

ウラジオストックは2012年のAPEC開催を契機として、海外からの投資が加速し、現在は1000件を超えてきた。

日系企業では、トヨタ・マツダ・三菱・丸紅などの商社が進出している。

 

諸外国と同様、特区を通じ、優遇措置を講じて、投資の呼び込みに躍起となっている。

 

また今回説明された、Elenaさんは女性委員会の代表であり、次回はぜひ女性経営者との交流を図りたいと強調された。

 

 

(次回に続きます)

 

2018年08月08日

しげちゃんのウラジオストック視察旅行記    その③

5.クルージングと洋上の晩さん会

 

涼風に吹かれ山海の珍味を味わう

 

 

午後は大きなヨットを借り切り、エビ・カニ・キャビアの海鮮料理を満喫し、ウォッカに酔いしれた。

奥深い湾内に漕ぎ出し、快適なクルージングを楽しんだ。

 

 

 

まだ春先の気候であったが、竹下さんが水着で飛び込み、続いて明永さんが飛び込み、ロシア風水泳を楽しんだ。

 

 

 

時間が進むにつれて、乾杯、乾杯が続き、ウオッカの空瓶が並んだ。

湾内を見渡すと豪華なヨットがずらりと並び、ペレストロイカ以降の、新しい富裕層が生まれていることが実感できた。

 

ガイドさんの話では、社会の仕組みが大きく変わり、年金生活者や失業者等は生活が大変だという事。

 

そのなかで、ダーチャ(自家菜園)の話が出た。

多くの都市生活者がダーチャを持ち、そこで野菜や果物を育て、牧畜をして、自給自足の生活を楽しんでいる。

 

また市の中心部にある広場では、土曜・日曜にマーケットが開かれ野菜や果物の生鮮食品や肉、魚が山積みされ、安く売られていた。

私もここではちみつを買ったが、日本の半値であった。

また、チョコレートは種類が多く、ガイドさんおすすめの一品は帰国後、大評判であった。

 

6.極東連邦大学訪問

 

6月16日、ユーリ氏の紹介で、極東連邦大学を訪問した。

 

ここは2012年9月APECが開催され、終了後大学として使用されるようになった。

 

大学には26000人が在籍し、ロシア本国だけでなく、中国・インド・パキスタン・韓国からも多くの学生が来ている。

広大な敷地に、バスが学内を周回し、教授や学内関係者、また学生用の宿舎も完備し、恵まれた教育環境に感心した。

 

日本人は少ないが、函館に分校がある。

訪問時はちょうど夏季休暇の最中であり、学生との交流はできなかった。

 

 

今回の視察では、アジア地域にありながら、ヨーロッパの伝統・文化を感じさせる街並みの美しさ、落ち着いたたたずまいに心を打たれた。

 

物価は安く、食事もおいしく、人々はフレンドリーであった。

 

アジア、ヨーロッパにまたがる広大な国土。

また、ロシア革命、ソビエト崩壊と激動の歴史を持つ大国ロシア。

 

 

えてして暗い印象を受けるが、体制の激変にもたくましく適応し、乗り越えつつある人々の姿に垣間触れることができ、ロシアに対する親近感が生まれた。

 

地理的に近い隣国、これからも交流を深めていきたいと感じた。

 

そして、社員や家族と再度、ウラジオストック旅行を楽しみたいと思った。

 

企画された国際交流委員会の浜田会長、石橋さん、ユーリさんに感謝したい。

 

(終)

 

2018年08月08日